浅井 東兵衛(あさい とうべえ、1927年(昭和2年)2月25日 - 2019年(平成31年)3月16日)は、昭和から平成期の実業家、政治家。一関市長。

来歴

岩手県一関市出身。1950年(昭和25年)中央大学専門部中退。郷里に帰り、石油製品販売業を営む。1995年(平成7年)岩手県議会議員に当選、1期務めた。1999年(平成11年)の一関市長選に立候補して初当選した。2003年(平成15年)でも再選。2005年(平成17年)に一関市は近隣の6町村と合併し、新一関市が発足。合併直後の一関市長選挙では無投票で当選した。2009年(平成21年)に引退した。2010年(平成22年)に建設事業関係功労者として国土交通大臣表彰を受賞。同年旭日小綬章受章。

2019年3月16日、多臓器不全のため市内の病院で死去。92歳没。叙従五位。

脚注

参考文献

  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。



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