山内 豊惇(やまうち とよあつ)は、江戸時代後期の大名。通称は式部、兵部。土佐藩14代藩主。

略歴

12代藩主・山内豊資の次男として誕生した。幼名は敏衛。

嘉永元年(1848年)、先代藩主だった兄の豊熈が7月10日に死去したため、同年9月6日に家督を継いだが、2週間足らず後の9月18日に25歳で死去した。

嗣子がなく、跡を従弟の豊信(豊資の弟・豊著の長男)が継いだ。  

あまりに急な死去であり、幕府に嗣子の届けをしていなかったため、後継者不在で山内家は改易となるはずであったが、藩は幕閣に根回しして、表向きには豊惇は病気のため隠居したことにし、翌年2月に死が公表された。その間に分家の豊信(容堂)が養嗣子とされ、家督を相続した。

法号は譲恭院篤信自省。

墓所は国史跡の土佐藩主山内家墓所(高知県高知市筆山町)。

系譜

  • 父:山内豊資(1794-1872)
  • 母:美芳院 - 大賀宗文の娘
    • 本人:山内豊惇
    • 婚約者:数姫 - 三条実万娘
      • 養子:山内容堂(1827-1872) - 豊信。山内豊著(12代藩主・山内豊資の弟)の長男

脚注


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山内豊信墓

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