キュタヒヤ (Kütahya) は、トルコの都市。キュタヒヤ県の県都。人口は約213,000人 (2007年)。
近隣の都市としては、約60キロ北東のエスキシェヒール、約115キロ北西のブルサ、約95キロ南西のウシャクなどが挙げられる。
概要
古代にはコティアエウム (Kotiaion または Cotyaeum、女神 Kotys の都市の意) と称され、内陸における交易路の要所として繁栄していた。ローマ帝国、東ローマ帝国の支配下におかれたのち、11世紀後半よりセルジューク朝による支配を受けた。その後、十字軍の進出やセルジューク朝の分裂を経て、15世紀よりオスマン帝国の支配下におかれた。1833年にはこの地で第1次エジプト・トルコ戦争の和平条約であるキュタヒヤ条約が結ばれ、オスマン帝国がエジプトのムハンマド・アリーに対して、シリアなどの統治を認めている。コシュート・ラヨシュがオスマン帝国での亡命生活をおくった街でもある。
キュタヒヤは製陶業が特に盛んなことで知られており、トルコ国内における陶器生産の中心的都市となっている。
気候
脚注
外部リンク
- キュタヒヤの公式サイト(トルコ語)



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