安藤 定次(あんどう さだつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。徳川氏の家臣。三河安藤氏の分家阿久和安藤家の始祖。
略歴
天文9年(1540年)、安藤家重の五男として誕生。
徳川家康に仕え、永禄6年(1563年)の三河一向一揆に加わったが赦免される。家康の子松平信康にも仕え、信康の死後は石川数正や内藤家長に属した。天正18年(1590年)の小田原征伐では内藤軍に属し武功を挙げた。
慶長5年(1600年)、伏見城の戦いに目付として参戦し、敵に左の股を矢で射抜かれながらも奮戦したが、61歳で討死にした。「三河武士の鑑」と賞された。
系譜
- 父:安藤家重
- 母:不詳
- 室:八田氏
- 生母不詳の子女
- 男子:安藤正次(1565-1615)
- 男子:安藤正勝 - 旗本
- 男子:安藤一勝
- 男子:安藤定次 - 旗本
- 女子:畔柳盛政室
- 女子:巨海忠正室
出典
- 『日本史大辞典』(講談社)




